2011年3月17日木曜日

朗報を得た

岩手,大船渡に友人がいる。
もともとWebコミュニケーション活性の高い人。しかし地震発生直後のツイートを最後に,消息が途絶えた。
正直に告白しよう。72時間を過ぎた辺りで,僕は一応,それなりの「覚悟」をした。

もちろん,望みが全て絶たれたわけではないので,何とも言えない無力感に苛まれつつ,手の届く範囲ではあるが,彼女の消息を追っていた。

Person Finder

避難所名簿共有サービス
https://picasaweb.google.com/tohoku.anpi

IBC安否情報
http://saigai.ibc.co.jp/anpi/

そして今日,未だ伝聞情報ではあるものの,かの人の無事の知らせを受ける事が出来た。
今日,電車に乗車中,その知らせはメールでもたらされたものだったが,普通に泣けた。ホッとして。嬉しくて。

 

我々オートバイ乗り(敢えて一括りにさせていただく)は,意識的にしろ無意識的にしろ,日常的に死を意識する機会の多い人種だ。否,むしろ死を意識するが故にオートバイなどというある種の危うさを持った乗り物に好んで乗っていると言えなくもない。これは,死の匂いのしないエロティシズムが観念し得ないのに良く似ていると思う。

人の命は,儚い。なんとも儚い。
加速度,質量,重力,エネルギー保存の法則。地球規模の物理の前で,あまりにも儚く,そして無力だ。

しかし,我々は,一つの命の儚さを知るが故に,その一つの命の尊さやかけがえのなさを同時に知るものである。

生きていてくれて,本当にありがとう。
再会の日をとても楽しみにしています。

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